お別れのことば
辻井 潤一
長尾先生には、大学院生、研究室の助手、助教授として、17年間、毎日のようにお教えを受けておりました。
先生の教えを受けたものとして、お別れの言葉を述べさせていただきます。
先生とともに過ごした17年間は、私の人生できわめて貴重な時間でした。その17年から、すでに33年、ほぼ2倍の時間が経ちました。
この年月も、先生とのお付き合いは、それまでの17年と同じように濃密なものでした。時におり、直接、お会いし、お話する機会もありました。それ以上に、私は、日常的に、心の中で先生と対話を繰り返してきたように思います。
研究のアイデアを思いついたとき、また、キャリアを変える重要な決断をするときに、まず、思いだしたのが先生でした。
先生ならどういうコメントや感想を持たれるだろう、それに対して、私はどうこたえるのだろう、という内的な対話を繰り返しておりました。
私は、様々な機会に、先生から教えを受けた人たちと出会います。彼らは皆、それぞれ、思い出す言葉や内容は様々ですが、私と同様、先生の言葉、生き方を自らの研究や人生の指針にしてきたようです。
久しぶりにお会いした先生からのお褒めの言葉に感激している人、先生の言葉を思い出し、むつかしい決断をしたという人、先生と知的な環境、経験を共有できたことを人生の糧にしている人、こういう教え子がたくさんいます。
みな、それぞれの人生の節目節目で、先生の言葉を思い出し、かみしめています。
このことは、日本での教え子に限りません。
国際学会ACLでは、先生のご逝去にあたり、先生の思い出をつづるサイトを開設しました。そこには、多くの海外からの研究者が先生との思い出を寄せています。
その中で、私とはぼ同期、1-2年年上のフランス人Christian Boitetが、先生が2年間グルノーブルに滞在された時の思い出を語っています。
Christianが先生と最初に出会ったのは、私と同時期ですから、彼がまだ大学を卒業して間もない頃だったかと思います。
その時の先生との出会いが衝撃的で、それがきっかけで彼は機械翻訳の研究に従事することを決めた、とのこと。その後、50年、彼は現在に至るまでグルノーブル大学で機械翻訳の研究を行い続けています。
先生の突然のご逝去は、まったく予期していなかったことで、国内外の教え子、研究仲間の動揺も、大変、大きなものがありました。
人工知能学会、言語処理学会など、様々な学会での追悼号の発行もありました。また、先生の晩年のご著書に触発され、人工知能と哲学に関するフォーラムが開催され、私ももっとも古い先生の教え子としてもっとも最近の教え子の方と参加したのですが、このフォーラムでの議論は、人工知能学会誌の最新号に掲載されています。
私がグルノーブルに滞在中、先生ご一家ともに、フランスの田舎町を回ったこと、つい先日のように思い出します。
その時、フランスの田舎はいいですね、お互い忙しいので今はできないが、時間ができたら、1ヶ月ほどかけて、フランスのワイナリーを回ってワインテイスティングをしましょう、といっていただいたこと、時にふれ、思い出します。残念ながら、このお誘いは、先生の多忙さのために実現いたしませんでした。
日本や世界の学術界のために多忙な人生を送られ、本当に突然に我々から去って行かれました。いろいろと話したいこと、ご一緒にお供したいことがあったのにと、いまも、非常に残念に思っています。突然に人生の羅針盤を失った喪失感、大きな悲しみを感じていますが、私は、これからも、心の中で先生との対話を続けていくことと思います。
先生のご研究、教え、価値観は、我々の世代、あるいは、それにつづく次の世代がきっちりと引き継ぎ、発展させていきます。
先生、長い間のご指導、ありがとうございました。安らかにお休みください。